音楽

2008年11月 5日 (水)

LPジャケットが懐かしい!!

実は、二ヵ月半ぶりのブログ更新です。
8月に入って持病の手術の話がとんとん拍子に進み、9月下旬に手術、やっと職場復帰を果たして2週間とちょっとといったところです。幸いにも経過はとも順調。貴重な体験となったこの一連の出来事は近々記録に残し、同様の病気で不安を抱えている人へ何らかの役に立てればいいなと考えています。

入院中はたくさんCDを聴いたり本を読みました。
その中でとっても面白かったのが、バーンスタインの弟子でもあった指揮者の佐渡裕らが著した「バーンスタイン名盤100選 LPジャケット美術館Ⅱ」。
改めて感じたことは「ああ、LPジャケットってよかったなあ~」ということ。

今やCD全盛期も過ぎ、そろそろ音楽をネット上からダウンロードして聴く時代になろうとしてます。
CDの時代になったとき、その便利性と音質の良さに手を叩いたものの、LP時代のようにジャケットの写真を見ながら音楽を楽しむことができなくなってきて、少し残念な気がしたものです。

映画やオペラは、映像(視覚)と音楽は切っても切れない関係で、いわゆる総合芸術として楽しむもの。いっぽうオーディオ装置の前で音楽を楽しむときはどうでしょう
たぶん作品の中に直接視覚的な情報が含まれていない音楽を聴いているときでも、そこに何か視覚的な情報が加わることによって、さらに音楽を豊かに聴くことができるのはないでしょうか。ジャケットの1枚の写真から広がるさまざまイメージと、聴いてる音楽を自由に結びつけて楽しむことができるからです。

若い頃は、いわゆる「ジャケ買い」を、ときたまやってました。LP時代を知ってる人はその心理わかりますよね。(*^.^*)
学生時代なので当然金がない。一か月の仕送りは5万円程度。そんなときに1枚2800円のLPを買うなんて、それはそれは検討に検討重ね、慎重に選んだものでした。
それでも、ついつい衝動的にジャケ買いしてしまうことがあるだから、約30㎝×30㎝のLPジャケットが与えるインパクトは大きかったんですね~。

自宅屋根裏倉庫に保管してあるLPの中から、印象に残っているジャケットを選んでみました。


Dscn05991_6  黒を基調としたカラヤンの写真を使った一連の録音。
おもにドイツグラモフォンレーベルです。60年代まではベルリンのイエスキリスト教会が主な録音会場でした。どっしりとした低音に支えられた底光りするようなベルリンフィルのサウンドによく合っていました。
カラヤンほど視覚的にカッコイイ指揮者はいませんね~。これから先もいないかも・・・

Dscn13871_2 ちょっと別のタイプで視覚的にも人を音楽の世界に引きずり込んでしまう魔力の持ち主だったバーンスタイン
彼のニューヨークフィル時代のマーラーの交響曲シリーズのジャケットも素晴らしかったです。夢と現実と、憧れと失望と、19世紀ロマンティシズムと20世紀の足音と…そんなマーラーの音楽のイメージを植え付けられた一連のLPでした。
これらのコラージュ作品はは先ほどの本によるとバーバラ・ハッチという人の作品だそうです。

Dscf00251_2 いまやDGの看板指揮者の一人のブーレーズ
彼の名前を私が知ったのはクリーヴランド管とのストラビンスキー春の祭典。あのジャケも実に衝撃的でした。とにかく当時のソニーのジャケットは実にアートでした。これは70年代初めに発売されたブーレーズのベートーベンの運命。え?ブーレーズがベートーベン?当時は信じられない選曲。でも彼ならきっと何かやってくれそうな気が・・・特にこの写真を見れば・・・しかし演奏はがっかりでした。だけどジャケは最高!

Dscn07151 LPのジャケットだからこその大傑作がこれ!ショスタコーヴィチの交響曲第2番とチェロ協奏曲第1番のカップリング盤。
二重言語を操るショスタコの音楽を実に上手に表現していると思います。死後にヴォルコフの書いた「ショスタコーヴィチの証言」が出る前に発売されているLPですから、今になって考えると、このジャケットを担当した人の洞察力のすごさが感じられます。
演奏は当時のロシア勢がすごい。特にチェロコンが爆演でした!

一つの曲を全く編集しないで、その曲に合わせて一本の映画を創る。
それが私の長年の夢です。

たぶんそれは、若い頃にLPのジャケットを眺めながらステレオにかじりついて音楽を聴いていた日々が影響してるんだろうなあ・・・

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2008年8月10日 (日)

シンシナティ・ポップスの名盤“ポップス・プレイズ・プッチーニ”

オペラはちょっと苦手・・・というクラシックファンって意外といると思うんです。
でも少しくらいオペラを食わず嫌いな人でも、このCDを聴いたら、きっと「わあ~素敵なメロディだなあ~」と感激して「プッチーニのオペラちょっと聴いてみような・・・」と、新しい世界に足を踏みこむきっかけを手に入れられるんじゃないでしょうか。

またプッチーニのオペラを大好きな人にとっても、このCDは歓迎されるはず。
まず妙な編曲をしていないということ。つまりそれは原曲の雰囲気をほとんど損なわずに感じられるということです。本物の舞台から放出される濃厚なドラマ性やロマンチシズムには、もちろん及びません。ですがこの演奏には、オペラを味わう時に欠かせない「歌心」があります。随所に聴かれる管楽器のソロもよいのですが、メロディを歌う第一バイオリンをはじめとする弦楽器が歌の息遣いをよくとらえています。
指揮者もオケのメンバーも、ああ、この人たちはプッチーニが好きなんだな・・・そう感じられる演奏なのです。
ポップスオーケストラだと思って馬鹿にしてはいけませんよ。こうしたしっかりした演奏を続けているからこそ、ボストンポップスやシンシナティポップスは、アメリカで根強い人気を長年保ち続けているのでしょう。

オペラファンにもまたそうでもない人にも抵抗なく、あのかくも美しくも悲しいドラマの醍醐味を気軽に楽しめる貴重なアルバムだといえましょう。
いわゆる「歌詞のないオペラ」のアルバムは数多くあります。
その中でも私は、このCDは飛びっきりの名盤だと私は思います。

もしかすると現在日本盤は廃盤になっているかも。
もし再発されたり、輸入盤で見つけたら、即手に取りレジへ向かいましょう~。

日本語版の帯には確か、
“星は光りぬ ポップス・プレイズ・プッチーニ”
となっていたと思います。

演奏は、エリック・カンゼル指揮シンシナティポップスオーケストラ
収録曲は次のようです。

1. 「ジャンニ・スキッキ」~私のいとしいお父さん
2. 「トスカ」~妙なる調和
3. 同~どうして閉まってたの/世の中のどんな日が/僕の焼きもちやきやさん
4. 同~テ・デウム
5. 同~歌に生き,恋に生き
6. 同~星は光りぬ
7. 「トゥーランドット」~だれも寝てはならぬ
8. 「蝶々夫人」~さあ,あとひと足よ
9. 同~かわいがってくださいね
10. 同~ある晴れた日に
11. 同~ハミング・コーラス
12. 同~第3幕へのプレリュード
13. 「マノン・レスコー」~この柔らかなレースの中で
14. 「ボエーム」~冷たい手を
15. 同~私の名はミミ
16. 同~愛らしい乙女
17. 同~ムゼッタのワルツ「私が町を歩くとき」
18. 同~ここならあなたに会えると思ったわ
19. 同~みんな行ってしまったの

プッチーニファンなら上記のそれぞれの題名を読んだだけで、条件反射的についつい涙腺がゆるんでしまう人もいるのでは?
それくらいプッチーニのオペラの中でも特に人気の名場面、感動のアリアを選曲してあります。
私など第一曲目の「私のいとしいお父さん」の冒頭が耳に入ってきただけで、もうウルウルしてしる始末。。。smile

オペラは、日本人にとっては言葉の壁があってどうしてもなじめないという人が多いと思います。歌詞の意味がわからないから、オペラ歌手の発声法に違和感を感じてしまうのだと思います。中・高・大と学校で7年も8年も英語の授業を受けていながら、大半の人がいっこうにヒヤリングも会話もままならない日本ですから、これは仕方のないことかもしれません。
かくいうクラシックファンの私も、少年時代はオーケストラ一辺倒で、オペラは苦手でした。オペラのいくつかの序曲や前奏曲、間奏曲には親しんでいたももの、アリアを聴くなんてほとんどなかったのです。
ところが偶然にも学生時代に、某音楽大学の声楽科に通う女の子と親密につきあうことができ、日常的に間近でその歌声を聴く機会が持てました。練習室で歌声を聴くたびに「ああ、人間の歌声ってなんて素晴らしいんだろう!」と感じられ、その体験以来、比較的すんなりとオペラや声楽曲にも親しめるようになりました。
当然好きな女の子のことは何でも知りたくなるもの。彼女はいったいどんな意味の歌を歌ってるのだろう・・・そこで歌詞の日本語訳を読んでみたり、時には彼女にその意味を尋ねてみたり・・・。
恋愛というものは人の幅を広げるものなんだなと、こんなところからも気づくのです。

演奏は前述したとおりですが、テラークの肉厚でスケール感が豊かでありながら各楽器も鮮明に聞こえる名録音も素晴らしいです。

ところで、シンシナティポップスオーケストラというのは、アメリカのメジャーオーケストラの一つであるシンシナティ交響楽団(今をときめくパーヴォ・ヤルヴィが現在首席指揮者)が、ポップスコンサートを行う時の別名。その名称では1977年以来エリック・カンゼルが首席指揮者を務めています。
輸入盤に付いてるメンバー表を見るとわかるのですが、どちらの名称で演奏する時も、参加メンバーはほぼ同じ。ボストン交響楽団が首席奏者が抜けてボストンポップスオーケストラになるのとは、少々事情が違うようです。

ちなみに、当盤発売後しばらくして登場した「歌詞のないオペラ第二弾~ポップス・プレイズ・ヴェルディ」は、いまひとつプッチーニの時ほど歌心が感じられない演奏でした。
もしかすると演奏者側の要望で実現したプログラムと、人気盤の二番煎じとして制作側が要望してのプログラムとでは、どこかしら熱の入り方が違ってくるのかな・・・と。これはあくまで私見ですがね。

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2008年8月 5日 (火)

夏に聴きたいクラシック ~シベリウスの交響曲第6番~

暑い!うだるような暑さです。ままとわりつく暑さです。

昨日、出張で福岡・大阪とまわり東京に帰ってきました。
「もうどこに行っても日本中暑い!」これが実感です。。
博多駅の新幹線ホームで西日を背にしてのぞみ号の車内清掃を待っているときの、ジリジリとまるで自分がローストチキンになってオープンで焼かれているような熱気。
その記憶が、いまだに背中と首筋に残っています。

せめて夏は、涼しくなる音楽を聴いて、少しでも快適に過ごしたいものです。

そこで・・・シベリウスの交響曲

森と湖の国フィンランドの国民的作曲家シベリウスは、7曲の交響曲を残しました。
第1番、第2番は民族の血がたぎるような熱い音楽です。荒涼とした大地が広がる風景とその地に根付いて生きる人々の魂の激しい燃焼が聞こえる音楽でした。
第3番になると、その熱い人々の思いは薄らぎ、幽玄の田園風景と土着的な踊りが聞えます。
しかし第4番になると、シベリウスは一気に精神世界へ突入してし、謎に満ちた内省の世界をさまようような音楽になります。
第5番は一変してとても穏やかな気分に満ちた音楽です。ゆったり流れる時間と北欧の自然の大きさを感じます。そしてどこか祝典的な気分すらする曲です。
そして第6番と第7番。この2曲はほぼ同時に作曲が進められたといいます。どちらも北欧の幻想の国に迷い込んだような、そして厳しい自然の中で育まれた人間の崇高な精神が感じられるような音楽です。なんだか小難しい音楽のように書いてしまいましたが、決してどこにも近づきにくい雰囲気はなく、構えず自然体で臨めば、大自然の風景を眺めるように心の中にすーっと入ってくる音楽です。

シベリウスの交響曲は、そのどれもが珠玉の名曲ですが、私はここ数年、第6番の虜になっています。

冒頭のヴァイオリンを中心とした弦楽で奏される、あの繊細かつ清澄な響きを耳にしたとたん、確実に体感温度は2度は下がるでしょう。
一分ほどして現れる木管のソロや、そしてホルンの響き・・・せせらぎを間近に眺めるような弦楽の性急な刻み、その下に存在する大きく清らかな潮流・・・。

「シベリウスの音楽には、もはや人は存在しない。ただそこには厳しいフィンランドの自然の営みが広がっているだけだ。」そう解説した人がいました。
確かにその解釈もうなづけるような、一見とりとめもない展開が続くように思えます。
しかし、繰り返し聴いていると、そこに息づいている生命感に驚かされます。
シベリウスの瞳は、自然界の厳しい営みや変動を見つめながら、心は絶えず何かを自分に向って問いかけているような気がします。
自然をあるがままに受け止める時もあれば、自然の偉大さにちっぽけな存在である自分の胸を突かれて動揺することもあるのです。

私のとりわけ好きなその第4楽章は、少年時代のキュンと胸を締めつけるような初々しい感覚に満ちた音楽です。
今はもう失ってしまったかもしれない。だけど、いくつになっても思い出すことができる、あの頃のひたむきな心・・・

だけど、そんな「心の中の宝物」を描きながら、音楽は何の解決も見せぬまま、ふっ・・・と終わってしまいます。
やはり不思議な音楽だなあ・・・そんなふうに思って余韻に浸っていると、昼間の熱気で火照っていた体も、すっかり落ち着いている、というわけです。

現代のシベリウスの絶対的再現者ともいえる、パーヴォ・ベルグルンドが指揮した演奏はどれも素晴らしいのですが、中でもヘルシンキフィルハーモニーとの80年代に録音したものが、まるで透明でひんやりしたな空気を感じられ、共感豊かな響きが随所に聴かれます。
ヨーロッパ室内管弦楽団との90年代の透明な響きにも捨てがたい魅力があります。

ところで・・・
この曲を聴きながら、宮沢賢二の「銀河鉄道の夜」を読むと、まるでこの小説の劇音楽のように、ストーリーと音楽が、ぴたりと一致する。そう言った人がいました。
興味深い意見ですね。
私はまだ試したことはないのですが、体験された方がいらっしゃいましたら、ぜひご感想をお聞かせください。

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2008年7月30日 (水)

ルー・ハリソンの名曲 “ヴァリッド・トリオ”

一口に「現代音楽」といっても、実にさまざまな様式というか印象の異なる音楽があります。
そりゃそうですね、そもそも「現代音楽」というのは、現代の音楽のこと、つまり最近作られた音楽のことであって、この情報の満ち溢れた現代社会の中から生まれてくる音楽は、時代の多様性同様に実に様々な音楽があるのです。

「現代音楽はわかりにくい」という言葉をよく耳にしますが、決してそんなことはありません。むしろ私たちにとってとても身近な音楽、たとえば民謡とか民族音楽などに触発されて生まれてきた音楽などは、いわゆるワールドミュージックそのものなのか、それとも現代音楽の枠組みに入れていいのか、判断つかないくらいのものさえあります。一度聴いただけで、そのエキゾチックな曲調に魅了される素敵な曲ももたくさんあるのです。

そんな「現代音楽」の中で、現在私が声を大にしておススメしたい名曲が・・・
ルー・ハリソンの“ヴァリッド・トリオ”です。

ヴァリッドというのは、「いろいろな」という意味。
トリオというのは、ピアノ、ヴァイオリン、パーカッションの三重奏のこと。
つまり“いろいろな三重奏曲”という名の曲なのです。

1.グンディン
2.ボウル・ベル
3.哀歌
4.フラゴナールを讃えるロンド
5.舞曲

という5曲から構成され、どの曲も3分以内の合わせて11~12分程度の曲です。
本当にどの曲もそれぞれ特徴がある、魅力的な曲が並んでいます。

夕立が通り過ぎたあと遠くに雷鳴がかすかに聞こえる夕暮れ時・・・
そんなときにこの曲を聴けば、あなたの魂は確実にアジアのどこかの地へ旅立っていくことでしょう。

ルー・ハリソンはジョン・ケージと並ぶ実験的な現代作曲家として知られた人です。残念ながら2003年に亡くなっています。
彼は生涯にわたって世界の民族音楽の音律を用いた音楽を書いたそうで、CDで聴ける彼の比較的よく知られた曲の大半は、ジャワのガムランミュージックを素材(?)にした曲です。
そもそも私はガムラン・ミュージックがどんなものであるかを知ったのが、このルー・ハリソンの音楽と出会ってからなのです。アメリカ人が昔のハリウッド映画に登場するへんてこなサムライやゲイシャを観て日本人をイメージしてるみたいなものかもしれません。
しかしそれでも、アメリカ人はそれなりに東洋の神秘をしっかり感じて楽しんでいるわけです。私もルー・ハリソンが再構成してくれたガムランミュージックによって、神秘の島バリへ想いを巡らせている、というわけなのです。
バリの音楽に詳しい方がいらっしゃったら、本物のガムラン、ケチャなどについていろいろ教えていただきたいものです。

ルー・ハリソンの他の曲では、ガムラン楽器そのもので演奏される曲が多くあります。
この“ヴァリッド・トリオ”はピアノやヴァイオリンという西洋音楽の最も代表的な楽器を用いて、多分に口当たりの良い音楽に仕上げられているのだ思います。
それは、荒削りな素材をより普遍的な音楽の枠組みに取り込んで、世界に広く普及させるという役割がもあるといえるかもしれません。
とはいっても、この曲で使われるパーカッションは通常のコンサートホールでは、まずお目にかからないものが登場します。つまり西洋楽器と土着的な響きのする民族楽器の絡み合う面白さも味わえる曲なのです。

私のこの曲の所有CDはすべて輸入盤です(たぶん国内盤はないでしょうけど)。英語のライナーノートに書いてあることがすべて理解できないのですが、読み取れる範囲のことと私の感想で紹介していきましょう。

1.グンディン 
グンディンとは調べてみたら、ガムラン音楽の用語で「楽曲」ということだそうです。「グンディン○○」「グンディン△△」といった使い方をして、訳すと「○○の曲」「△△の曲」といった感じです。つまり、これといった具体的な何かを描いたという曲ではなく、純粋に「曲」である、ということなのでしょうか。。。?
でもこの曲の冒頭はとっても素敵な始まり方ですよ。
静けさの中から聞こえてくる打楽器・・・ピアノのボディをゲンコツで軽く叩くような音が独特の効果を醸し出す前奏。とても印象的です。その後に入ってくる詠嘆的なヴァイオリンのメロディがとても美しい。
以前、蓼科高原の緑に囲まれた山荘で、朝靄が晴れていく風景を眺めながらこの曲を聴きました。そのときの思い出は、これまでの人生の中で「音楽と風景が一致した瞬間」のベスト3に入る瞬間だったかもしれません。

2.ボウル・ベル 
初めて聴いた人は、きっと思わずニヤリとするでしょう。
ボウルって陶器のうつわ、つまり茶碗のことです。茶碗を大小いくつか並べて箸で盛大にキャンキョンキャンキョン叩いてます!ヴァイオリンも高いピチカートでピピピピンと打楽器のように加わってきます。クラシック音楽では決して聴くことのない響き。とても印象的で不思議なそしてユーモラスな曲です。
こんなに茶碗叩いたらお母さんに叱られちゃいそう~。
交響曲にたとえるなら、ここはスケルツォにあたる曲ですね。

3.哀歌 
ヴァイオリンが切々とエレジーを奏でます。
ピアノは独特の音階でハープのようなアルペジオで伴奏します。パーカッションは始めはお休みでほぼ最後の和音のところでやっと登場。
交響曲にたとえたら、ここは緩叙楽章にあたる曲ですね。

4.フラゴナールを讃えるロンド 
なんて雰囲気のある始まり方なんでしょう。
ロンドというのは古いフランスの舞曲の形式ですね。ですからフラゴナールというのはロココ時代の画家のフラゴナールのことを指しているようです。
全編の中で最もメロディアスで心惹かれる曲です。
フラゴナールの絵のもつ気品とか、描かれている人物の内面を映し出す表情の繊細さに惚れぼれとするような・・・そんな気持ちを表してるのでしょうか。

5.舞曲 
終曲は早い踊りの曲です。
ピアノでウァイオリンそしてさまざまなパーカッションが、土着的な踊りのリズムと単純なメロディを絶妙に変化させながら繰り返して行きます。ウァイオリンは中間部でメロディを弾きますがここでもピチカートで打楽器的な扱いです。
パーカッションが変則的にアクセントをつけ始めると曲はますます佳境に入り、最後は「はい、これでおしまい!」といった感じで締めくくられます。
このエンディングを聴くたびに、私はいつも「ううむ・・・名曲だよなあ!」って心の中で叫んでしまうのです。


CDは、ディビッド・エイブルのヴァイオリン、ジュリー・スタインバーグのビアノ、ウィリアム・ワイナントのパーカッションという現代音楽のスペシャリストのトリオが録音したものが素晴らしいです。

彼らにはなんと87年と90年のどちらもスタジオ録音があり、どちらもNew Abilion レーベルです。86年の作品ですからたぶん彼が初演者で、87年のは初演直後の録音ではないでしょうか。
両方そっくりな演奏で、別々に聴いたら違いがわからないくらいです。しかし90年録音の方がより鮮明な録音だし、演奏もこなれているように感じます。

87年録音は LA KOLO SUTORO というタイトルのルー・ハリソンの作品集。

90年録音は SET OF FIVE という5タイトルのアルバムで、ジョンケージ、ヘンリー・カウウェル、アラン・ホヴァネス、佐藤聡明、そしてルー・ハリソンの曲を収めており、すべて彼らの演奏。よくこの楽器編成の曲を集めたのものだと思います。もしかしたら彼らのために書かれた曲も多いのかも。
実はこのアルバム、他の作曲家の曲もなかなかいい曲ばかりです。現代音楽の名盤といえましょう。
私は佐藤聡明の“Toki no Mon”“ヴァリッド・トリオ”をよく続けて聴きます。

このアルバムを聴くことは、私にとってまさに「癒される時間」なのです。

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2008年7月24日 (木)

一目惚れ!~始まり方のカッコイイ曲~(交響曲編)

音楽にも「一目惚れ」があります。
曲冒頭がカッコよければカッコよいほど、曲が進んでもなんだかずっとカッコイイ・・・happy01

人間は初対面の人と会ったとき、最初の数秒で「あ、こんな人だな・・・」と判断してるそうです。そう、第一印象でその人ととのその後の付き合い方も大きく違ってくるものです。
いったん「好き!」になってしまうと、どんなしぐさも素敵!可愛い!抱きしめたい!と思ってしまうのが惚れた男(女)のおバカなところ。
ならば気になる相手に「一目惚れ」させて、その後をうまくこっちのペースで進めてしまおう~、なんて恋の駆け引きに最大限の努力を惜しまないのが青春時代。少年達はそんな事ばかりに頭を使っているのであります。
ま、受験勉強ばかりしているよりも、よほど人生の勉強をしている健全な青少年の姿といえましょう。

作曲家も、この曲をどんな風に始めようか、どうやって聴き手の心をつかんでやろうか・・・と実に一生懸命悩み工夫をしているようです。
曲の冒頭部分だけを聴いて、そういった作曲家の心意気を味わうのも、また楽しい音楽の聴き方の一つかも。

「音楽に一目惚れする瞬間・・・カッコイイ始まり方」

クラシック音楽の長い長い歴史の中で、数えきれないくらい多くの人々の胸に、熱い恋心の炎を灯したその瞬間・・・。
思いつくカッコイイ始まり方、印象的な始まり方の曲を、ほんと~に思いつくままに挙げていきます。

《交響曲編》

◆モーツアルト交響曲第40番
 一瞬ヴィオラが不安げな和音を刻んだかと思うと登場する、あの有名な旋律。「疾走する悲しみ」なんて表現した人もいましたね。クラシック音楽を「私ぜんぜん知らなーい」と言ってる女の子も「これ知ってるよ。あ、これモーツアルト?」と言うくらい、誰の印象にも残る永遠不滅のメロディなのです。

◆ベートーヴェン交響曲第5番
幼稚園児でも知ってる「ジャジャジャジャーン」。こんな単純なリズムをオーケストラでやることによって、あれだけインパクトのある瞬間を作り出したのですから、ベートーヴェンってホントにすごいですねえー。聴き進めば、その単純な音形のモチーフだけであたかも巨大な建造物を築きあげたかのような全貌が見えてきて、驚きはさらに大きく・・・

◆メンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」
なんという躍動感に溢れた爽やかな音楽でしょう!晴れ渡った青い空を駆け抜けていくようなウキウキしたメロディは、一度聴いたら決して忘れません。

◆ブラームス交響曲第1番
ティンパニの連打とオーケストラ分厚い和音で始まるこの曲もかなりインパクトありです。その昔吉本新喜劇で、衝撃的事実が発覚した瞬間にこの部分が響き渡るというギャグがありました。実はミホちゃんには好きな人がいた!でこの曲。ブラームスは笑ったろうか泣いたろうか・・・

◆ブラームス交響曲第4番
この深いため息のようなメロディは、まさにこれから始まるこの曲全体のイメージを支配していまする。秋の落日に何を想うのか・・・ま、人それぞれでしょうが・・・

◆ドヴォルザーク交響曲第5番
あくまで冒頭部分だけにこだわったら、ドヴォルザークの交響曲の中でもこれはとっても魅力的な始まり方です。2本のクラリネットで奏される可愛らしいメロディ。もう一度フルートに引き継がれて、少しワクワクしながら徐々に盛りあがって、ああどんな素敵な盛り上がりなっていくんだろうと思っていると・・・。はい、幸せな45秒でした。

◆マーラー交響曲第2番「復活」
わっ、なんすか!! このサスペンス恐怖ドラマのような、怪獣出現のような物々しさは!慣れてくるとちょっと「狙いすぎ」な感じのぬぐえない冒頭ですが、なにしろ初めて耳にしたときの衝撃はかなりのもんだと思います。しかし、第一楽章の再現部でこの冒頭が戻ってきたときの方が、衝撃はもっとでかいかな。やはり音楽は全体を聴くもんですね。

◆マーラー交響曲第3番
ホルン8本のユニゾンで始まります。私には大きな岩山が大自然の中で何かを語ってるような感じがします。マーラーがこの第一楽章に当初つけていた表題は「夏は来たりぬ」。今は亡き作曲家の柴田南雄先生は「グスタフ・マーラー」という著書の中で、この冒頭の旋律について何ページにもわたって分析を行っていました。音楽の専門家にもかなり興味深い部分なんでしょうね。。。

◆マーラー交響曲第4番
いきなり鈴です。シャン、シャン、シャン、シャン・・・・耳を澄ますとフルートも一緒です。よくもまあこんな始まり方を思いついたものです。この曲は天上の生活のイメージを現わしてとく言われます。終楽章の歌などまったくその通りの歌詞になってます。ただマーラーの音楽の面白いところは、地上に生きる人間の心の中にある、ぽっかりと口を開けてる地獄を同時に描いてるところです。

◆マーラー交響曲第5番
すいません。マーラーばっかりで。しかし、このいきなりのトランペットソロは、聴く方もそしてもちろん吹く方も、相当な緊張を強いられますね。これほど安定した音程と響きとダイナミックな音量を作り出すテクニックを試されるような瞬間は、他にないのでは?プロの奏者にぜひそのあたりのことを訊いてみたいです。コンサートホールで実演に接するときは、曲が始まるまでずっとトランペットの首席奏者の行動を眼で追い、ついつい心中を勝手に察して、一緒に手に汗握っている自分がいるのです。(^-^;

◆プロコフィエフ交響曲第3番
緊急事態発生!! まさにそんな感じの緊迫感と残忍なイメージのこもった始まり方です。オペラ「炎の天使」(これまた衝撃的なタイトル!)の素材を使って交響曲に作り上げたんだそうです。この先、この曲どうなっていくんだろー。そんな気にさせられちゃいますね。

◆シベリウス交響曲第2番
フィンランドには一度も行ったことありませんけど、私のフィンランドのイメージは、まずこの曲の冒頭の部分ででき上がりました。世の中にもそんな人は多いのではないかな?弦が刻む「ドドドドドドレレレミミミ」という単純なメロディ。そしてオーボエのソロ。受けるホルン・・・フィンランドの凍てつく広大な大地に、春の訪れとともに命が芽生えたのような・・・そんなドキュメンタリー映像を勝手に作り上げちゃってます。

◆ショスタコーヴィチ交響曲第4番
実に心地よくない緊迫感に満ちた響きで始まります。無理やり力ずくで押しつけてくるような圧迫感のあるギクシャクした行進曲。思わず肩にも力が入ります。肩こりしそうです。でも、こういうショスタコーヴィチらしいところがたまらなく面白いです。

◆ショスタコーヴィチ交響曲第15番
チーン、チーン・・・という小さな鐘に続いて登場する操り人形のようなフルートソロ。ああ、不思議な音楽ですねえ~。どこか遠くの記憶の奥底に引き戻されていくような、そんな感じがするとても印象的な冒頭です。休日に近所散歩していて近くを自転車が通りかかったときベルが「チーン・・・」と鳴った瞬間、頭の中ではフルートソロが始まってしまうという、まことに困った思考回路が私の中にできあがっております。

交響曲編は今回はこの辺で・・・
またいつか、管弦楽編か協奏曲編を書きたいと思います。

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2008年7月20日 (日)

コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲にメロメロ… 

コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲にもうメロメロです。

甘美な響きとメロディにうっとりと浸り「癒しの時間」を過ごしたい・・・そんなときは最適な曲じゃないかな・・・。

“快楽主義”という言葉がありますね。
いろんな側面から論じることのできる言葉だと思いますが、音楽の分野で“快楽主義”を説明しようとするなら・・・
「コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲をワインでも飲みながらゆったりと聴くこと。そんな時間を過ごすことを無上の喜びとし、そういった快感を追い求め、行くことを生きていくことの原動力にさえしようとする考え方」
そんな風に言えるではないでしょうか・・・。

マーラーの耽美的な音楽を聴いている時も、同じような感覚になることがあります。
ああ、いつまでもこの世界に浸っていたい・・・後期ロマン派の音楽の特徴というか、それが最大の魅力でもあるのですが、一歩間違えば不健全な習慣性のある麻薬のようなロマンチシズムを味わいつくすことも、まさに「音楽の快楽主義」と言えるのでは・・・。
R.シュトラウスの作った官能的な響きに満ちた「薔薇の騎士」も、その分野の代表的な名曲ですね。
そういった観点からすればコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲も、完全に後期ロマン派の魅力が最も色濃くあらわれた音楽だと思います。

ところが・・・この曲が作曲されたのは1945年。なんと第二次世界大戦が終わった年ではありませんか。初演は47年にハイフェッツが行ったそうです。
私たちの世代は、両親や祖父母から直接戦争中の話を聞かされています。終戦の年に誕生した曲だと聞いたら、現代に直接つながっている時代に誕生したバリバリの「現代音楽」というイメージです。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演より45年も後にこの世に出た作品なのです。
西洋音楽史をかじってみると、20世紀に入りシェーンベルクが12音技法を編み出したあたりで音楽の歴史は大転換して、まったく新しい世界に入ってしまったような錯覚に陥ります。
ですが、このコルンゴルドの曲を聴いていると、時代が現代になっても、ひたすら人間の内面を描くロマン派の音楽は脈々と続いていたのだということがよくわかります。

なんとこの曲、マーラーの未亡人、アルマ・マーラーに献呈されているそうです。
アルマの恋多き人生とこの曲想を同時に思い浮かべると、そのいきさつをぜひ知りたいものです。

第一楽章は、いきなりヴァイオリンソロから始まります。ヴァイオリン以外の楽器だったら決してサマにならない単純な音形のメロディです。ですがここには、ヴィブラートたっぷりのヴァイオリンだからこそ味わえる独特の官能的な響きがあります。応えるホルン。この瞬間からコルンゴルトの官能的で妖しい底なし沼に引きずり込まれていくのです.。

第二楽章は、さらに魅惑的な音楽に終始します。
夜景の摩天楼も遠くに見えるような、大都会の夜のしじまの中に漂うエキゾチックな香草の匂いと愛の場面・・・

第三楽章は、小気味よいヴァイオリンの名技を見せながらも、ロマンチックにのびやかなメロディを奏でていきます。オーケストレーションも見事。とても近代的な響きがします。ああ、そうか1945年の作品だったか・・・とやっとこのあたりで気づいたりするのです。

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、1897年モラヴィア(現在チェコ)に生まれ、1957年アメリカで没。ユダヤ人だった彼は38年にアメリカへ亡命しました。そしておりしも黄金時代を迎えようとしていたハリウッド映画の作曲家としての職を得て、生き延びました。
作風は後期ロマン派だとしても、生い立ちはまさしく現代の作曲家です。

コルンゴルトは自作の映画音楽の主要なテーマを題材にして、この曲を書きました。
第一楽章は1937年作の映画「砂漠の朝」、第二楽章は1936年の映画「風雲児アドヴァース」、第三楽章は1937年の映画「放浪の王子」などからのメロディが使われています。

コルンゴルドの音楽を聴いていると、随所でジョン・ウィリアムスのスターウォーズやらETの音楽の響きがします。でもこれは逆で、ジョン・ウィリアムスがいかにコルンゴルトから影響を受けているか、ということです。極端な言い方をすれば、1970年代後半から1990年代あたりのスピルバーグやルーカスが作った映画の中の音楽の響きは、すでに1930年代、40年代にコルンゴルトが書いていたものを焼き直したものだと、言えるかもしれません。

私の愛聴盤は、ギル・シャハムのヴァイオリン、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団のもの。
シャハムの甘美な音色でよく鳴るヴァイオリンはなかなかの聴きもので、プレヴィンの指揮もとっても素敵です。

プレヴィンはこの曲を3回も録音しています。
一回目は、パールマンとピッツバーグ交響楽団と。これはどうも録音がイマイチだし、パールマンの語り口はどうもおおらか過ぎて、どこか物足りなさが付きまといます。
二回目がシャハムとの録音。
そして三回目がたぶん蜜月時代の頃のムターとの録音。のっけからアブナイ雰囲気ムンムンのムターの毒にやられます。これ凄い演奏です。ただしちょっと疲れます。

他には初演者ハイフェッツの歴史的な録音もありますが、やはりこの曲は響きの良さが楽しめる録音でないとなあ~、と感じます。
ベンジャミン・シュミットという若いヴァイオリニストと小澤征爾ウィーンフィルのライブ録音はなかなか捨てがたい名演です。ヴァイオリンソロがオケの一員のようなイメージですが、オーケストラがとても充実した響きで立派に鳴っているので、気聴きごたえがあります。

なお、コルンゴルドの映画音楽のスコアを録音したものが、最近はたくさんCDになっています。
私が持っているのは、1977年録音のチャールズ・ゲルハルト指揮ナショナルフィルハーモニーの、当時コルンゴルドの名前を世の中に再認識しれたといわれるRCAの名盤の復活したもの。
第一曲目の映画「シーホーク」のテーマなど、知らない人が聴いたら「わっこれスター・ウォーズ作った人の音楽だよね!」ってたぶん言うでしょう。
ヴァイオリン協奏曲の原曲になった曲も、それぞれ収められています。原曲と聴き比べるのも楽しいですよ。

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2008年7月17日 (木)

青春の歌 ドビュッシー ピアノ三重奏曲

ドビュッシー作曲 ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのトリオ ト長調

まだ聴いたことがない方は、ぜひ耳を傾けてもらいたい名曲です。
こんなに素敵な音楽が、作曲されてから100年近くものあいだ世の中に知られていなかったなんて、ほんとうにもったいない話です。

この曲が作曲されたのは、1879年から1880頃で、ドビュッシーは1862生まれなので、わずか17か18歳のパリ音楽院の学生だった頃の作品。
この曲の存在が知られたのは1977年。散在していた楽譜をまとめ校訂し楽譜が出版されたのは、1986年だそうです。

ドビュッシーというと、印象派を代表する作曲家で、ピアノ曲など聴いていると、メロディよりも音色の変化や音の配列の妙で聴かせる音楽だというイメージです。
まさに点描画のような技法で情景を描き、そこにある光景の雰囲気がモワモワと伝わってくるような音楽です。

ところがこのピアノ三重奏曲は少し印象が違います。
とっても愛らしいメロディ、、ひたむきな感情から流れ出るような心の歌、、若者だからこそ書けるとってもストレートな情感がしっかりと伝わってくる、そんな作品なのです。
ドビュッシーだけど、これはロマン派の音楽と言ってもいいのかも。音楽院時代のドビュシーは、きっとベートーヴェンやシューマン、メンデルスゾーンなどのピアノ三重奏曲をきっとたくさん聴いたり演奏したりしていたのでしょうね。
今回はついつい「青春の歌」なんて、ちょっと顔が赤くなるようなタイトルをつけてしまいましたけれど、一度聴いていただければ、初々しい感性に満ち溢れた佳作であることに、誰もが気づいてくれるでしょう。

第一楽章。
とても印象的なピアノの柔らかな導入です。続くヴァイオリンそしてチェロのメロディにも惹きつけられます。どんなものに対しても新鮮な好奇心を抱き、だけどとても傷つきやすい感受性をもった少年の自画像のような曲です。

第二楽章。
弦のピチカートに導かれて登場するピアノのなんと愛らしいこと。夢の中に出てくる無邪気な子供の頃の楽しい想い出・・・どことなく数え唄のような雰囲気も。

第三楽章。
広々とした草原に寝そべり、青い空に流れていく白い雲を眺めながら過ごしたあの頃。いつか夕日に染まっていく空を見つめながら少年が描いていた夢は・・・?

そして第四楽章。
いくら願っても叶わない夢もある。昔は一緒に無邪気に戯れていたあの娘。心の中にいつの間にか芽生えてしまった、これまでとは違う気持ち。心の中に湧き上がるひたむきな愛。だけどそれを伝えられないもどかしさ・・・そんなちょっぴり甘く切ない思いを味わいながら、少年は大人になっていく・・・

若い感性だからこそかけた作品だとは思いますが、こんな曲をどうして17,8歳の青年が書けてしまうのでしょう。
俗人ならば40歳、50歳になってはじめて言葉として表現できる若き日の心の中の情景を、天才というものは、青春の真っただ中で、すでにこんな美しく一つのまとまった音楽として表現してしまったのです。
天才とは、そういうものなのでしょうか・・・。

私が愛聴しているCDは・・・

●ルヴィエ(ピアノ)  カントロフ(ヴァイオリン)  ミュレ(チェロ) 

●プレヴィン(ピアノ)  ローゼンフェルト(ヴァイオリン)  ホフマン(チェロ)

●トリオ・フォントネ

どれもそれぞれの角度から曲に光を当てた素敵な演奏ばかりです。

ちなみに上から、デンオン盤(クレストシリーズ)、タワーレコード(RCA)盤、ワーナー盤。
いずれも現在約1000円で手に入りますよ。

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2008年7月16日 (水)

シューベルトの未完成交響曲を聴いてみよう

その昔、「五大交響曲」と言われた時代がありました。

え?誰が決めたのかって?
誰でしょうねえ~。
西洋音楽が日本に入ってきた時代に、もっともっとこの素晴らしい音楽の世界を日本中に広めようと考えた教育者の誰かが、何かの書物の中で言い出したことかもしれません。
またはレコード業界が一つの新しい市場開拓のために言い出したことかもしれません。
詳しいことはよくわからないのですが、私がクラシック音楽に親しむようになった頃には、何しろ初心者は、まずは五大交響曲からクラシック音楽の道に入っていくものだと・・・そんな風潮というか、常套の手引きというか、お決まりコースのようなものがあったのです。

さて、その当時の5大交響曲とは・・・

モーツアルト交響曲第41番「ジュピター」

ベートーベン交響曲第5番「運命」

シューベルト交響曲第8番「未完成」(現在は第7番)

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界」

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」

はは~、なるほど確かにどれも素晴らしい曲が並んでいますね~。
クラシックファンなら誰しも血沸き肉踊らせた想い出の曲が、この中にあるでしょう。

ところがしかし、改めてこの一覧を眺めてみると、「あれえ?そういえば最近この曲あまり聴いてないなあ~」という曲があることに気がつきませんか?

シューベルトの未完成交響曲

これって私だけ?

中には「いやいや大好きでよく聴きますよ~」と言う方もいるかもしれない。
でも私にはあまり聴く機会がなかったのです。
この文章も、たぶんそこそこのクラシックファンの人もあまり最近耳にしてないだろうな~、と思い込んで書いてるわけです。

そもそも、実際のオーケストラコンサートで、この曲を聴いたことある人ってどれくらいいらっしゃいますか?
正確に統計を取っているわけではありませんが、未完成交響曲がプログラムに取り上げられるのは、他の5大交響曲に比べて極端に少ないのではないでしょうか。
初心者向けの「名曲コンサート」と銘打たれたものでも、あまりないような気がします。
また、海外からの来日オーケストラがこの曲をプログラムに入れていた記憶というのが、私にはほとんどありません。
思い出せるのは、75年のベームとウィーンフィルによる、日本中を熱狂させたあの歴史に残る来日公演ぐらいかな?

では、なぜシューベルトの未完成交響曲は演奏回数が少ないのでしょうか。
そもそもクラシックに目覚めた頃の少年たちというのは、オーケストラのド派手な音響、壮大に盛り上がるクライマックス!などにシビレて虜になっていくのです。(私なんかまったくそれ)
オーケストラが奏でるクラシック音楽というものは、他のジャンルのポピュラーミュージックに比べると圧倒的に音量のダイナミックレンジが広い。大きく盛り上がる部分がある一方、静かに美しく歌いぬかれる部分や、または耳をダンボのようにして弱音に集中するような場面があって、そのあたりが少年少女の心をくすぐるのです。
そう意識してみると、上記の交響曲の名曲には、どれもそういう「落差」がはっきりと聴きとれるものばかりです。

ただし、シューベルトの未完成交響曲を除いては。。。

と、ここまで書いて気づきました。
あ、そうか、もともと交響曲ってそういうものかあ。曲調の異なる曲を有機的に組み合わせて作るのが一般的な交響曲です。つまり「変化」と「対比」と「関連」を楽しめるように作ってあるものなのですね。
しかもだいたいは4つの楽章で構成されているものがほとんどです。

ところが・・・未完成交響曲は、メロディに関してはことのほか美しいけれど、そういった「落差」を楽しむことができない、大音響で激しく盛り上がるようなカルタシスを得にくい曲なのです。
それがいま一つ地味な存在というか、コンサートでもあまり取り上げられなくて、他の曲にに比べたら(初心者には)人気が薄い交響曲なのだと・・・
そう述べようと思って書き始めていた今回のブログだったのですが・・・、ここで、よ~く考えてみたら、確かに「交響曲」とは称しているものの、これはいわゆる交響曲ではないんだということに気がついたのです。

まさに「未完成交響曲」。

初めっから「交響曲の形にはしてませんよ~」って言ってたんですね~。

通常交響曲を一曲聴き終えたときには「完結感」というか「到達感」のようなものを、私たちは感じています。
別にいつも意識しているわけではないけれど、「交響曲」と呼ばれる曲を聴いている時は、意識するしないにかかわらず、自然とその「完結感」「到達感」のようなものを求めながら聴いているように思います。

ちょっと前置きが長くなりましたが、つまり、シューベルトの未完成交響曲は、そういういわゆる交響曲らしい曲ではないのです。
だけど(ここが大切ですが)、こよなく美しい曲、なのです。

最近この曲を聴いてない方は、ぜひ改めて聴いてみてください。
もし貴方が、これまでのさまざまな人生経験によって「今の自分があるんだなあ」と思える年齢になられていたら、若いころよりもこの曲の美しさにきっと気づくことでしょう。
名曲といわれるものは「やっぱり名曲だなあ」と思えるだけのものがあったのです。(当たり前か?)

思いつめたような美しさ。

心の底に不安を抱きながら愛するとき切なさと焦燥感。

降りかかる悲劇が大きいほどヒロインの美しさが際立つような、そんな感覚にとらわれる不思議な曲なのです。

昨日・今日とバーンスタイン指揮ニューヨークフィルの演奏で聴きました。
バーンスタインのシューベルト?
クラシックマニアの人には以外に思われるかもしれませんけど、これがなかなかいいんですよ。この曲の本質を突いた演奏なんじゃないかなと思います。
60年代のこのコンビの録音ですから、アンサンブルはけっこう雑なところがあります。
しかしバーンスタイン特有の、ちょっとしたメロディにも血を通わせて、ひとつひとつのニュアンスを大切に表していく演奏の仕方が、「不安」と「陶酔」が同居するこのシューベルトの曲にとってもマッチしていると感じました。
音響の構築という点よりも、一つ一つの音形や語り口にこだわった演奏。それを克明に行うことで、やや病的とも言えるような複雑な心理の綾までもが表現されている、そんな演奏なのです。

ベームやカラヤン、古くはフルトヴェングラーやワルターの定番ともいえる名盤も、もちろんそれぞれ素晴らしいのですが、ぜひバーンスタイン・ニューヨークフィル盤を隠れた名盤として仲間に入れたいと思います。

ちなみにこのCDには第8番「グレート」がカップリングされています。
こちらはLPの時代に擦り切れるほど聴いた録音。
ニュアンスたっぷりのバーンスタイン、ちと荒いけど精一杯弾ききるニューヨークフィル。
これもなかなかの名盤だと思います。
特に有名なオーボエソロのある第二楽章の中間部トリオ部分の、なんともしみじみとした情感が漂うあたりが、私は大好きです。

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2008年7月11日 (金)

マーラー交響曲第5番はなぜこんなに人気があるのか?

「作曲家は交響曲第5番を作るときは、みんなベートーヴェンを意識して力作になるからどれも名曲になるんだよ」

そう言っていたのは、私の親父です。
大正生まれだった親父たちの世代は、クラシック音楽といえば、それはほぼベートーヴェンを中心とした音楽のことだったようです。

確かにベートーヴェン以降の交響曲第5番は名曲ぞろい。
チャイコフスキー、ブルックナー、マーラー、ヴォーン・ウイリアムス、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、アーノルド・・・第5番がその人のベストの交響曲かどうかは多少評価が別れるかもしれないけれど、どの曲も大変聴きごたえのある相当な力作であることには間違いありません。

残念なことにブラームスとシューマンは第4番で終わりになってしまいました。
特にベートーヴェンを意識していたブラームスが、もし第5番を完成していたら・・・なんて想像するだけでも楽しいですね。

で、今日はその中でも、私が特に大好きなマーラーの交響曲第5番。
とにかく、聴きどころ満載の交響曲なのです。

ちょっと余談ですが、1980年代あたりからの海外の一流オーケストラの来日公演で、取り上げられた曲としては、最もプログラムにたくさん載った曲ではないでしょうか?
これは正確な統計ではありません。あくまで勘。ただ多少でも来日オケの公演のプログラムに興味を持ってる人なら「ふむふむ、そうかもしれないねえ・・・」とうなづいていただけるのでは?(どなたか正確なデータがあれば教えていただきたいものです)

マーラーの音楽の魅力は・・・
耽美的なメロディ、狂おしいまでの感情のうねり、むせ返るようなロマンチシズム・・・
そして全編対位法の連続というか、絶えず複数の旋律がいろいろな楽器で交錯していて、それが一筋縄ではない人間の内面を描いているように音楽が進行していくところ・・・
オーケストレーションが巧みで、特に管楽器のソロが登場したときの面白さ・・・
思いつくままに挙げてみても、こんなに魅力が満載です。

「大地の歌」と未完の第10番も含めて、どのマーラーの交響曲を聴いてみても、そういった魅力を味わうことはできますが、これらの要素をちょうど程よく効果的にわかりやすく聴くことができるのがこの第5交響曲なのではないか、だから「よっしゃ、うちのオケのエエとこ聴かせたろじゃないの」的な来日公演で取り上げられることも多いのではないかと。
演奏時間も65分~70分ちょっとと、マーラーの交響曲の中では中程度の長さです。

まず第一楽章の冒頭、いきなりトランペットソロで曲は始まります。
そんな交響曲がそれまであったでしょうか?しかもファンファーレですよ。
いやあ、奏者は緊張の極でしょう。ライブではとんでもないミスが続出するのを何度か目撃しています。
こののっけから登場する山場が見事に吹ききることができれば、その日の演奏はもう名演奏になってしまうような気がしてなりません。逆にウマくいかないと、先が思いやられるなあ・・・と心配ばかりが先行してしまいます。
音楽でも「始まり」というのは大事なのです。
ちなみに冒頭のファンファーレのリズムは、タタタターン・・・まさしくべートーヴェンの運命の動機と同じですね。(メンデルスゾーンの真夏の夜の夢の「結婚行進曲」の冒頭にもよく似ています)
トランペットソロに続くフォルテッシモのトゥッティ!その後から暗く陰鬱に始まる葬送行進曲・・・こういった落差の非常に激しい展開が全編に続いて登場するのも、この曲の特徴であり、演奏効果を高める大きな要素にもなっています。

そして第一楽章と対になっている第二楽章
音楽はさらに激しく荒れ狂い地を這いのたうち回り、胸を締め付けられるような慟哭、そして大爆発・・・
いやあ~私たち素人の音楽好きが、指揮者になったつもりで棒を振ったら、これほど激しくいろんなことできる音楽はないんじゃないかなあ~なんて思います。
「いやあ~大げさ過ぎ。」そんな声も聞こえてきますが、マーラー好きは、こういうところが大好きなんですね。

第三楽章は長大なワルツ。
ワルツといっても優雅なものではなく、あちこちが肥大した建造物のようなワルツ。
ホルン軍が大活躍します。ホルンソロは第一楽章のトランペットソロ以上に聴きどころと言えるでしょう。
細かいパッセージなどはないものの、まずは堂々とした「音」が必要です。朗々と響く男性的な音色、音量を落としても微動だにしない安定感。ホルン奏者にとって聴かせどころです。

第四楽章アダージェットは最も有名な楽章です。
青白い顔のマーラーが、「胸が痛くなるほどに思いつめて書き上げた愛の音楽」のように私は感じます。とても美しい音楽です。
よくヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で使われて・・・なんていう解説がされますけど、そんな宣伝文句を借りなくても、この壮絶なまでに美しい楽章は、充分に人気を得ているはずです。
弦楽合奏だけで演奏され、他の楽章との対比が鮮明でとても効果的です。
妻アルマと結婚したばかりのころに作った曲だということが、本などで紹介されています。ふむふむ、なるほどなあ~私も大いに影響していると感じます。

そしてそして、最終の第五楽章
この曲がこれほどまでの人気になっている最大の理由は、実はこの終楽章にあるのでは!と思っています。
全体の構成から言うとこの第5交響曲は、ベートーヴェンと同じ運命の動機で始まり、最後は勝利を得る、というまったく同じパターンなんですね。
終楽章では、初めに示された音形をフーガの技法を用いながら躍動感あふれる展開を見せ、クライマックスへ導いていきます。
途中各楽章で登場した主題が、随所でいろいろと形を変えて登場するところがワクワクするのです。
ですが圧巻は何と言っても終結部のコーダ。金管の壮大なコラールで頂上に登り詰めたその直後に、一気にこれまでの登場テーマがなだれ込む!聴覚神経を起点として脳細胞がスパークするような感覚です!
そしてトドメが、ドーシラソファミレド!と、脳天逆落としをくらわせるような終わり方。
喜びに満ちた終結部なのに、ただ単純に終わらせないのがマーラー。
ここは何度聴いても、どんな演奏を聴いても興奮する終結部です。

所有CDを数えてみたら、ちょうど30種類ありました。
好きな曲だと、新しい演奏のCDを見つけるとついつい「わ、どんな演奏になってるんだろう」と買ってしまうんです。

中学生時代に初めてこの曲に出会ったのは、ショルティがシカゴ交響楽団の音楽監督に就任時に録音したLPでした。ヴィルティオーソオーケストラの力を全開にして逞しく築き上げた力感に溢れた名演奏です。今聴いてもこれはある意味すごい演奏です。
ほぼ同時期にLPで親しんでいたのは、バーンスタインがニューヨークフィルを振った63年録音盤。非常に熱っぽくマーラー節を聴かせます。ちなみに私にとって「マーラーらしさ」のイメージの大半は、若い頃一番たくさん聴いたバーンスタインの演奏で作られています。
これらの録音は、どちらもこの曲を語る上で欠かせないモものですが、最近になってCDで聴き直しみると、ショルティはちょっと力づくで単純かな?バーンスタインのはあまりにもアンサンブルが雑じゃないの?と感じてしまうところもありますけど・・・。

クーベリックやテンシュテットのライブ盤は、共感度と燃焼度の高さではピカ一。
冒頭トランペットの見事さでは、メータの振ったニューヨークフィル(フィリップ・スミス)か前述のショルテ・シカゴ響(アドルフ・ハーゼス)かな。
ガッティ指揮ロイヤルフィルのやる気に溢れた演奏も捨てがたい。
カラヤン・ベルリンフィルの有名なアダージェットは、確かに聴きものです。
ラトルのベルリンフィル音楽監督就任公演ライブもなかなか。特に首席ホルンのシュテファン・ドールの第3楽章のソロは鳴りっぷりの良さに拍手!頼りになる男だ。
最近の録音では、ジンマン指揮チューリヒトーンハレ管が進行中の全集録音の中では、この第5番が最も熱く金管軍も含めオケが立派です。

しかし現在のところ、私がこの曲で最も気に入ってるのは、インバル指揮フランクフルト放送響盤。
インバルはすべての音に目を行き届かせ、繊細でありながら巨大な建築物のようなマーラーを築き上げています。
同時進行する複数の旋律に耳を澄ませてみると、それぞれがしっかりとニュアンスを湛えて歌っている。ひとつひとつの要素が絡み合い、そして統合し、さらに離反していく有様を一番見事に描いている演奏、それがインバルの演奏ではないでしょうか。
86年のフランクフルト放送響初来日時の初日、サントリーホールで聴いた時も同じような印象を受けましたが、さらにライブならではのものすごい熱気と気迫がありました。
デンオン盤は録音レベルが低いので、通常より2~3割増しの音量で再生すると、そういったインバル盤の良さが味わえます。と同時に、ほぼワンポイントで捉えた録音の透明感とダイナミックレンジの大きさに驚かされるでしょう。

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2008年7月10日 (木)

ノッてるね~ P.ヤルヴィのベートーヴェン !!

音楽は「再生芸術」と言われます。
絵画などと違って、ずっとそこに存在するのものではなく、演奏されて初めて音楽は存在します。
そして音が消えた瞬間から音楽も消えてなくなる。。。

正確には休止で音が鳴っていないときも音楽だし、曲が終わった瞬間の静寂も音楽の一部なのですが、まあ一般的に、音楽は鳴っている間だけに存在する芸術だと言われております。

だから音楽が聴き手に届く時には、必ず作曲家が書いた音符を演奏する人(つまり演奏家)が仲介します。演奏家というフィルターを通して作曲家の意図は伝わるのです。
少し言い方を変えると、音楽というものは、作曲家の作った筋書きを利用して演奏家を味わうもの、といっていいのかもしれませんね。
このあたりが音楽の幅広い楽しみ方ですね。

クラシック音楽にあまり多く接する機会の少ない人からよく、「演奏家によってそんなに違うの?」という質問を受けることがあります。

そんなとき私はよくこんなたとえ話をします。
「同じ推理ドラマの台本を使って、探偵役を田村正和が演じるのと、西田敏行が演じるのでは、ぜーんぜん違う探偵になっちゃうでしょ」

どちらも個性豊かな探偵になるでしょうねえ~。
それと同じようにバイオリニストにはそれぞれの歌い回しや音色があり、ピアニストのちょっとしたタッチの違いでも音の色彩と香りも、そして伝わる「音楽」も違ってきます。

それがオーケストラの奏でる音楽になると、変化はもっと増幅します。
音を出してるのは当然オーケストラの奏者なのですが、何十人もの個性集団が音を発するときに、指揮者というさらに強烈な個性が絡んで独自の音を出させようとするわけです。聴き比べなんかしてみたら、これほど面白いものはないのです。

さて、そこで今をときめくパーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンです。
未来の巨匠?いやいや今やすでに世界で引っ張りだこの大人気指揮者です。彼はエストニア出身の指揮者、巨匠メーネ・ヤルヴィの息子。
「親の七光」などという言葉がありますけど、本当の実力で勝負しなければならない世界ではそれは通用しません。オーケストラ奏者というその楽器に関する猛者集団と面と向かい合って、自分の意思を伝え従わせるのですから、そりゃ力量がもろに反映する仕事でしょう。
政治世界ではびっくりするくらい二世議員が多い。もちろん特殊な家庭環境の中で育って政治を学ぶ機会が多かったこともあろうが、、むしろ政治家というのは秘書をはじめいかに良いスタッフによって支えられているかによって「実力」が決まるのではないでしょうか。その環境づくりこそ、親のバックアップ(親の七光)が一番反映しやすいところではないかと思うのですが・・・。(もちろん七光ではなく立派な政治家もいらしゃいますけど!)

一方スポーツなどの真に本人の実力だけで勝負する世界では、世界チャンピオンの子が世界チャンピオンになった、とか、ホームラン王の息子がホームラン王になったなんて話は、まずないですよね(たぶん)。特に競技人口が多く底辺の広いスポーツでは、親子揃って一流選手なんてほとんどいないのです。相撲という特殊な閉鎖的(?)な世界においては、名大関の息子2人が揃って横綱になっちゃった例はありましたけど。

では音楽家では?
どちらも歴史に名を残すような親子は、やはりそれほど多くはありません。
私がすぐ思いつくのは、演奏家では名ヴァイオリニストのヤン・クーベリックと息子の名指揮者ラファエル・クーベリック、指揮者のエーリヒとカルロス・クライバー親子くらい?
他にもけっこういるように思いますけど、考えてみたら片方は大天才の巨匠でも片方はまあそこそこの名人どまりというのが多いようです。
そんな中で、現代最も「親の七光」ではなく「実力」で活躍してるのが、パーヴォ・ヤルヴィではないでしょうか。

あ~、ついつい前置きが長くなりました。この人ほんとにすごい人だな、ということを伝えたいための前置きでございました。coldsweats01

今日、昨年発売されたベートーヴェン交響曲第4番、第7番を聴きました。
オーケストラはドイチュ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン。若い才能が集まったとっても表現意欲に溢れた室内オーケストラです。

素晴らしいのは特に第4番。
こんなに微に入り細に入り、メロディの歌わせ方、楽器の受け渡し、音の絡み合い、アクセントやクレシェンドとディミヌエンドの使い分け、リズムの交錯、といった「こだわりぶり」を聴くのは、私はこの曲では初めての経験でした。
学問的にいえば、現代楽器によるピリオド楽器奏法とでもいうのでしょうか。
音量の幅、表現の幅の狭かった昔の楽器(ピリオド楽器)だからこそ、必要だった「強調する演奏法」を、音量も表現力も豊かな現代楽器で再現しているのです。
こういった演奏法の流れは、まあ最近の流行ではありますが、こんなに徹底して楽しく聴けたのは、とても珍しいです。

ヤルヴィがロマン派、近代・現代の曲を現代の大オーケストラで演奏したときの、集中力とオーケストラコントロールの確かさは、これまでCDなどで幾度か出会ったことがありましたが、ベートーヴェンでここまで「ハジけた」パフォーマンスを見せるとは、ちょっと驚かされました。
この曲が生まれた瞬間の、喜びと興奮が溢れてくるような、凝りに凝ったハイテンションの演奏なのです。

ちなみに第4番は2005年の録音。
第7番はなぜか2004年と2006年にまたがった録音。
きっと第7番の方は一度録ってしばらくして納得のいかなくなった部分を録り直し編集したのでしょう。もちろん随所に面白い表現が出てくるし、充分に気合いの入った演奏だとは思うのですが、第4番から続けて聴いてみると、妙におとなしい普通の演奏に感じてしまいました。

ちょっとそんな曲によってムラもありますけれど、フレッシュで個性的なベートーヴェンを味わいたい方は、ぜひこのエキサイティングなヤルヴィ盤を聴いてみてください。
「 しっかし、ノッてるね~happy01」と思わず拍手してしまう第4交響曲ですよ。

それにしてもベートーヴェン。どんな解釈でも映える凄い音楽を書いたものです。
「いつ聴いても新しい音楽だなあ~!」って思いました。
これも今日の、もう一つの結論です。

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2008年7月 8日 (火)

映像作品にしたい音楽 ~フィンジ クラリネット協奏曲~ 

音楽を聴いていて、その曲に合わせてストーリーを作って映画やドラマを作りたいなあ・・・と思うことがあります。

そう思う人って、世の中にけっこういっぱいいるんじゃないでしょうか。

イギリスの作曲家フィンジの代表的作品 クラリネット協奏曲はそんな曲の一つです。
(正確にはクラリネットと弦楽オーケストラのための協奏曲)

ジェラルド・フィンジは1901年生まれ(1956年没)。完全に20世紀の作曲家です。
でもどこにも現代音楽っぽいとっつきにくい雰囲気はありません。たぶん学問的に言ったら実験的なことはほとんどやってないんだと思います。
ただひたすら自分の心の中から湧き出てきた音楽を、それまでに学んできたロマン派あたりまでの手法で作り上げたのだと思います。
イギリスの作曲家で人気のあるホルストやヴォーン・ウィリアムス、ディーリアスと同じように、もっと聴かれて欲しい作曲家です。

私はイギリスの田園風景というものを実際には観たことはないのですが、映画やディーリアスの音楽などから想像している「風景」があります。
そんな秋の田園風景を眺めながら一人の男が昔を回想している。
忘れられない恋の記憶・・・

「マディソン郡の橋」という恋愛小説がもう15年くらい前に、アメリカでも日本でもベストセラーになりました。映画化もされメリル・ストリープとクリント・イーストウッドが共演したとても素敵な大人の恋の物語でした。涙した人も多かったのではないでしょうか?

たとえばの話ですが、あのイーストウッドが演じたカメラマンのロバート・キンケイドが、その後イギリスの鄙びた田舎街に暮らすことになったとしましょう。
ひして、ある日の午後、年老いてた彼は人生を振り返ります。そして思い出すのは、あのフランチェスカと過ごした4日間のこと・・・そんな雰囲気の場面を想像してみてください。

そんな場面にぴったりなのが、フィンジのクラリネット協奏曲です。

ははは、音楽なんて何を聴いてどう感じるかなんて、自由でいいんです。勝手にいろんなこと考えちゃっていいんです。
実を言うと・・・この曲に出会った時と時期を同じくして、私はある一人の女性と知り合いました。(詳細省略!)
この曲を聴くたびに、それが何年後だとしても、私はきっと彼女のことを想い出すでしょう・・・bleah

音楽を聴くときには、いろんな聴き方・感じ方があると思います。
純音楽的に、音楽そのものを楽しむこともできます。メロディの美しさ、リズムの面白さ、音色の変化の面白さ・・・
音楽を聴いていると作曲家自身がまるで生きてるかのように浮かび上がってくる、そんな聴き方もあります。たとえば、モーツアルトがあっかんべー!ってしてるとか、マーラーの青白い顔色が浮かんでくるとか・・・
その音楽をよく聴いていた頃の記憶がまざまざと蘇ってくることもあります。
また、こうしてまったく別の場面やストーリーを感じさせてくれる音楽もたくさんあります。そういう現象というのは、音楽によって過去のさまざまな記憶が組み合わされて、脳の中で一つのストーリーにまとめ上げられているのかもしれませんね。

そんな音楽を聴いて感じるさまざまなことを語り合ったりすることは、音楽好きにとってとっても楽しいことです。
なぜなら、言葉で音楽そのものの感動を伝えることには限界があるから。音楽の感動を伝えるにはやはり同じものを同じ状況の中で聴いてもらわなければならない。
だから、いったん音楽から離れたストーリーを語り合うことには、もどかしさがないのです。

私のこの曲の愛聴盤は、クラリネットがロバート・プレイン、バックはハワード・グリフィス指揮のノーザン・シンフォニアの弦楽部のもの。(NAXOS盤)

クラリネット協奏曲というと、モーツアルトとウェーバー以外ではほとんど広く知られてるものはありません。
ある時「フィンジのがけっこういい曲らしいぞ」とネット上のコラムか掲示板で見かけたのを思い出して「それじゃとりあえずNAXOS盤で買ってみるか・・・」と購入したものです。
これが思いのほか心の琴線に触れてしまい、いろいろな演奏で聴いてみたくなりました。そしてアンドリュー・マリナー盤(ロンドン響首席)とリチャード・ストルツマン盤(世界的名手)を買ってみました。ですが一番この曲のイメージにしっくりくるのはロバート・プレイン盤だったのです。
プレインのクラリネットは、表現の幅はそう大きくはないけれどテクニックがとてもしっかりしています。何より丁寧でムラのない美音が魅力です。クラリネットって木管楽器の中ではとっても表現幅の広い楽器だと思いますが、彼はあえてそれを抑えてひたすら丁寧にメロディを歌い抜いています。詩情が漂うクラリネットです。
ストルツマンなどはいろんなことやり過ぎてこの曲の純粋なイメージを壊してしまってるような気もしました。
ライナーノートによるとプレインはノーザン・シンフォニアの若き首席奏者とのこと。こんな地方オケにも素晴らしい名手がいるんですね。将来はロンドン響かフィルハーモニア管の首席奏者に上がっていく人かも・・・そんな想像もしております。


なお、フィンジにはチェロ協奏曲という、なかなか素敵な曲もあります。
さらに、未完成に終わったピアノ協奏曲の第二楽章だけを独立させた「エクローグ」という、これまた愛の場面にぴったんこの超ロマンチックな名曲もあります。この曲からも一編のストーリーが創れそう・・・
クラリネット協奏曲が気に入った方はぜひこれらもお聴きください。

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2008年7月 6日 (日)

スティーブ・ライヒの音楽

クラシックの話をしようと始めたブログなんだけど、いきなりスティーブ・ライヒです。

まあスティーブ・ライヒという人は、現代音楽の中のミニマル・ミュージックというジャンルを築き上げたもっとも重要な人物でもあるし、そういう意味では彼の音楽はすでにクラシックと呼んでもいいのかもしれないしね。

彼の代表作、たぶん最も人気のある曲の一つ?「18人の音楽家のための音楽」を昨夜、NHK教育放送で観ました。
アンサンブル・モデルンの今年の来日公演の放映で、スペシャルゲストパフォーマーとして、なんとスティーブ・ライヒ本人もピアニストとして参加しています。

この公演があることを知ったのは昨年の秋あたりだったでしょうか。ほんとに実演に接してみたいコンサートの一つでした。
国営放送(?)のおかげで、昨日接することができたのです。感謝。

ただただ単純な音形とリズムが繰り返される、波の干渉のようにそれが微妙にズレながら変化しながら移り変わっていく音楽。まあ簡単に言うと、それがミニマル・ミュージックです。
よく例えに使われるのは、2台のブランコ。2台のブランコを同時に同じ力で揺らしたとしましょう。最初は同じ周期で揺れています。ところが徐々に2台の揺れにはズレが生じてくる・・・次第にそのズレは大きくなり・・・そしてある時、2台のブランコが同じ周期で揺れる瞬間がやってくる・・・
そんなものどこが面白いの?とおっしやる方もおられるでしょうー。でも、音楽が2台のブランコのように音色とリズムが微妙にズレながら綾を作っていく様が、無性に面白いのです!
「う~ん、現代音楽なんてなんだかさっぱりだわ・・・」と敬遠してらっしゃる方がいましたら、ミニマルミュージックから聴いてみたら?
けっこうポップでノリノリな曲もいっぱいありますよ。

と、いうことでスティーブ・ライヒに戻りますが・・・「18人の音楽家のための音楽」(1976年作)。
この曲では、女声ボーカルを打楽器の一種として扱う手法も素晴らしい。

私の所有しているCDは、初演当時のもちろんライヒ自身も参加している「スティーブ・ライヒとと音楽家たち」の演奏です。のちにネクサスと名乗るスーパーパーカッショングループたちも参加しています。新しい音楽がまさに生み出される瞬間の緊張感というか、世に問う!といった意気込みがヒシヒシと伝わってくるような演奏でした。
でもCDに記録されているのは、レコーディングスタジオで綿密に作り上げられた演奏。
確かに面白いんだけど、そもそもこういう曲って、ライブではいったい演奏可能なんだろうか?
これまでCDで接するライヒの音楽を聴くときには、いつもそんな疑問が頭の片隅にありました・・・

そして今回のンサンブル・モデルンの演奏会。
もちろんライブでしかも映像に収められたこの曲を聴くのは初めてです。
わあ、本当に人間がマレットでずっーーーと叩き続けるんだあ・・・
ん?やっぱり途中で交代しながら楽器を変えていくんのかあ・・・
ははあ、やっぱり女声はマイクを使って発声してるのか・・・
バスクラの寄せては引いていくパルスって、あんなに一生懸命吹いてるんだ・・・
本当にいろんな発見がありました!

でももっと驚いたのは、「やはりこれは人が奏でる音楽なんだ!」と感じたことです。。
たぶん今ならパソコンやシンセサイザーを使って電気的に打ち込んで再現することも十分可能なはずです。
だけど、ライブがスタジオ録音やCDと打ち込みによる再現とで最も違う部分は何かというと、そこに生身の人間が演奏している姿があるということ。単調な繰り返しの中に演奏家の熱気や興奮までもが伝わってくるということです。
現代音楽というジャンルとはいえ、とってもポップなリズムが特徴のライヒの音楽。繰り返しと変化の中から自然と生じる演奏家たちの息遣いと気持の高まりがまざまざと感じられた演奏でした。
時に目線を交わしながら、フレーズの受け渡しをするときの呼吸を計る様子・・・
演奏している彼ら彼女らの表情が、良かったですねー。

「18人の音楽家のための音楽」  名曲です。

終演後の拍手は徐々に盛りあがり、最後にはほぼ会場全員がスタンディングオベイション。讃えられているライヒの表情がとても印象的でした。

同じミニマルミュージックでも、人気があるといわれるフィリップ・グラスやマイケル・ナイマンは、私は何度聴いてみてもあまり面白さを見いだせないのですが、いわゆるクラシック音楽のように演奏家の違いによる味わいをも楽しめるライヒの音楽というのは、このジャンルでは頭抜けた存在なんだろうな、と感じられたコンサートの様子でした。

「ライヒすごい!」

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2008年7月 4日 (金)

クラシック音楽は宝の山

人間生きてる間にいろんなものに出会いますね。

わあこんなすごいことって世の中にはあるんだあ~・・・って体験は誰にでもあるでしょう。

身近なところでは友人知人の知られざる一面を見つけて「こいつ凄い奴だったんだな~」とか、たまたま観にいった映画や読んだ小説にものすごく感動してしまい「なんて素晴らしいストーリーなんだ♪」とか、旅先や出張先やちょっとした出かけた先で出会った風景に「おお!」と言葉を失うこととか・・・そんないくつかの驚きの出会いの中で、私がこれまで一番多くの「驚きの出会い」を体験したのが、クラシック音楽の世界です。

小学校の音楽の時間にロッシーニのウィルアムテル序曲を耳にして「あ、ローンレンジャーだ!」と胸躍らせ、親父に初めて買ってもらったLPレコード。あのマーチの終曲のわくわくしたことのある人はきっとたくさんいるでしょう。この曲、私が学生時代に一世を風靡したお笑いテレビ番組「ひょうきん族」のテーマ音楽にも使われていました。
そして6年生になった頃、親父の隣の部屋で机にかじりついて嫌々宿題やっていると、やたらに勇ましく心を駆り立てられるようなブラスとティンパニの連打が聞えてきました。「これなんて曲?」「ショスタコーヴィチの交響曲第5番の第4楽章だよ。表題が『革命』って言うんだ」。ひょえ~革命?革命的にカッチョイイ~!この交響曲はその日からひたすら文字通り盤が擦り切れるまで何度も繰り返し聴き、私がクラシック音楽の世界にハマるきっかけになったのでありました。

カラヤンとバーンスタインは、今でも私の永遠のアイドルです。ステレオ装置(当時はオーディオのことをそう呼んでいた)の前で、大音量で流れるチャイコフスキーなんか交響曲のクライマックスに合わせて、指揮棒に見立てた割り箸を思いっきり振り回し、机の角に手をしたたかに打ちつけては「ウググググ・・・!」なんて転げまわってるバカな少年時代でした。

そんな大音響オーケストラ大好き時代から始まり、現代音楽、オペラ、室内楽、器楽曲に至るまで、興味の向くまま心の惹かれるままにクラシック音楽を聴いてきました。

これまでのクラシック音楽との付き合いの中で、私は「わあこんなすごいことがあるんだあ~」という経験を何度もしてきました。それは作曲家が作った曲への驚きでもあり演奏家の奇跡的な演奏でもありレコード芸術としての録音効果などの面白さに対してものです。

人間の作りあげるモノって、本当にすごい。まだまだ知らないものが世の中にはいっぱいあるんだ・・・さら恐ろしくさえ感じるそういう経験があったからこそ、そういう瞬間にまた出会えると確実にわかったからこそ、私は今でもこうして毎日クラシック音楽を聴いているのだと思います。

こうした経験は、これまで昔からの音楽好きの友人たちと語り合ったりする中で伝えていましたが、最近になって記録に残したいと思うようになってきました。
「クラシック音楽は宝の山」ではないか・・・と少しでも気付き始めた人の目に触れ、それが新たな感動との出合いのきっかけになればと思います。
また、これまでクラシック音楽にあまりなじみがなくても、これをきっかけに「ふ~ん、なんか面白そうだね~聴いてみようか・・・」と思ってもらえればとてもうれしいです。
この世に生れてしまった私たちは、しばらくはこの「人間の世界」で過ごすわけです。せっかくですから面白い経験をしましょう。楽しいモノ見つけて喜びましょう。
そして、少しでも共感しあえる仲間が増えればいいなと考えて、このブログを始めることにしました。

はじめてのブログです。気負わず気楽に、そして楽しく綴っていければいいなと思います。

ご感想・ご意見・雑感・思いついたこと・なーんでもいいです。遠慮なくコメントいただけると嬉しいです。

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